UNE FILM EST UNE FILM

映画は映画である。映画評、その他

書評:大嶽秀夫『ニクソンとキッシンジャー―現実主義外交とは何か』中公新書(2013)

 リチャード・ニクソンといえばウォーター・ゲート事件でその名を記憶されているアメリカの大統領である。今年公開されたスティーブン・スピルバーグ監督作『ペンタゴン・ペーパーズ』では「見えざる悪役」として描かれていたのも記憶に新しい(ちなみにこの映画のラストシーンではウォーター・ゲート事件の発覚が暗示される)。さらに、アメリカ映画に多少なりとも通じている者ならば、ハリウッドに忌まわしき赤狩りをもたらした非米活動委員会のメンバーであったことも忘れるわけにはいかない。このように何かとネガティブなイメージがついて回る大統領であるが、その一方で米軍のヴェトナム戦争撤退やソ連とのデタントを実現するなど、冷戦において果たした役割は決して小さくない。そして、そんなニクソン外交を側近的立場から支えたのが、ハーバード大学出身の国際政治学者、ヘンリー・キッシンジャーである。本書は、世間的に忘れられがちなニクソンキッシンジャーの外交を、主に対ソ戦略(SALT締結)、米中和解、ヴェトナム戦争からの撤退という三つの事例から検討した本である。そして、それを通じて彼らの「現実主義外交」の様子が描かれていく。つまり、SALT締結、米中和解、ヴェトナム戦争からの撤退といった一見ハト派的ともいえる成果が、いかに現実主義的認識に立脚した外交で成し遂げられたかが詳細に記述されるのである。

 この三つの事例は、本書の第二~四章でそれぞれ述べられる。これらは相互に関連した内容を含むので、各章の要約は控え全体について概観しよう。まず、本書は米中ソ3カ国を主要なアクターとして論じている。これはニクソンキッシンジャー外交の成果として取り上げる三つの事例が、ヨーロッパなどに比べ中国やソ連とより関係した問題であるからだろう。結論から言うと、ニクソンキッシンジャーは、中ソの思惑の上を上手く渡ることができたと言える。ソ連は、東欧や中東への威信を保ちつつもアメリカとの全面的な対立は何としてでも避けたかった。経済停滞と中国との関係悪化のためである。対する中国も、ソ連との関係悪化やヨーロッパでの緊張緩和に伴い、ソ連への警戒心が非常に強まり、アメリカと接近することを望んでいた。アメリカは、中ソどちらの敵対心や警戒心を強めることのないように、中国との和解、ソ連とのデタントを進めていったのである。もちろん、これは容易なことではない。特に中国との接近は、「対ソ・デタントにとって重大な障害となるリスク、それどころかソ連からの激しい反発を招いて米ソ関係を一転して極めて危険な状態にするリスクがあ」るし(p.73)、そもそも狂信的な文化大革命の時代において「中国をソ連以上に、より切迫した脅威とみなす見方が一般的」だった(p.74)のである。しかし、ニクソンは中ソ対立を機に中国は現実主義外交に変更すると考え、対中接近を行い、さらにそれを梃子にSALT締結というソ連との関係改善の具体的な成果まで実現させた。SALT締結は、アメリカがソ連に対し「強い立場からの交渉」姿勢を貫いた結果であり、成果こそハト派的であるが、そのプロセスは融和的なものではなかった。しかもそれは、ソ連からしても「国際政治の上で、米国と並ぶ超大国としての地位を示し得」るものであった(p.69)。中ソの思惑を見抜き、両者の対立を巧みに利用した現実主義外交の面目躍如といえるだろう。

 また、本書はニクソンキッシンジャー外交だけでなく(あるいはそれを理解するために)中国とソ連の外交姿勢についても詳しく述べられている。そして、この米中ソ三か国の思惑が交わったのがヴェトナムであった。中国にとってヴェトナムは南で国境を接している地政学上重要な地で、アメリカからの「逆ドミノ理論」を防ぐためにも北ヴェトナムを支援していた。しかし他方で、朝鮮戦争の経験もあり、全面衝突は避けたいという思いも同時にあった。そこに、関係悪化しつつあったソ連が絡んでくる。ソ連も中国とともに北ヴェトナムを支援する側に立っていたが、ヴェトナムがソ連の勢力圏になれば南北からロシアに包囲されてしまうという脅威が中国にはあった。他方、ソ連としてもヴェトナム戦争に積極的にかかわりたいという意思は当初なかったが、中国に対するけん制や(米ソ対立は避けたいものの)アメリカと平等の勢力圏を認め合いたいなどの思惑から、北ヴェトナムへの支援を行った。アメリカとしては、ヴェトナムは「五流の小国」に過ぎないが、アメリカの力の衰退の象徴とされ、国際的な信頼性を損なってはならないと考え、「名誉ある撤退」を望んだ。さらにヴェトナム戦争では、北ヴェトナムの思惑も重要になってくる。北ヴェトナムは中国が推奨するゲリラ戦に限界を感じ、ソ連から近代重兵器の援助を受けテト攻勢等を行うようになった。北ヴェトナムは経済の近代化のためにもソ連への依存度を高めていくが、それと反比例するように七〇年代以降、中国との潜在的利害対立も現れ始める。ただし北ヴェトナムはアメリカとのデタントに向かうソ連を全面的に信頼してはいなかったし、中国としてもソ連を意識して七二年に経済、軍事援助を増加させるなど利害関係が複雑に絡み合う様相を呈している。中国とヴェトナムの対立が顕現化するのは、南北ヴェトナム統一後、中越戦争によってである。アメリカはアメリカでソ連の北ヴェトナムに対する圧力に期待するも、それはうまくいかず、「ニクソン・ドクトリン」によってヴェトナム戦争の「ヴェトナム化」が表明されてからパリ協定が結ばれるまで数年を要した。その間に、非妥協的姿勢を崩さない北ヴェトナムに対して、軍事的な手段も行っている。このようにヴェトナム戦争は、単純なイデオロギーだけでは理解することのできない複雑な国際政治の現実を示していると言えよう。テレビで悲惨な戦争の現場が流れ、六〇年代には反戦運動が盛り上がり、その後の記憶としてもヴェトナム戦争アメリカにとって批判されるものであった。しかしその一方で、単純な善悪では収まらないリアリスティックな国際政治の世界が存在していたことを本書は改めて示してくれるだろう。

 第五章は「「ネオリベラル・ポピュリズム」と「ナショナリズム」」と題され、現実主義外交を行ったニクソンキッシンジャーの裏側にあった思想を明らかにしている。著者は、ニクソンの発言から、エスタブリッシュメント批判をしつつ多数派に訴えかけるレトリックを使用する彼のポピュリスト的な要素を指摘する。また、ニクソンネオリベラリストの先駆け的存在であったことにも言及する。そして、ニクソンキッシンジャー外交という点で興味深いのは、彼らのナショナリズムである。前述したようにニクソンヴェトナム戦争撤退に際しても、アメリカの信頼性を損なわない「名誉ある撤退」を目指したが、それはニクソンキッシンジャーの、大国アメリカとしてのナショナル・アイデンティティ、「偉大なアメリカ」という理想主義的思想の一面の表れなのである。「一見冷徹な「抑止」という合理性のレトリックの背後に、「偉大な国」というナショナル・アイデンティティが隠されていたのではないか」(p.193)、また「国益の追求、冷徹な計算という自らの言説にもかかわらず、二人のマキャベヴェリズムには、徹底した「商人的」狡猾さを拒否するような、ある種の理想主義がその核にあったことがわかる」(p.195)と著者は指摘するのである。

 著者も漏らすように、国際政治について、「対話」の重要性を説く平和主義や、逆に善悪二元論的な排外主義を主張する言説が日本では数多く見受けられる。また、そうでなくとも、国際政治の世界における状況、駆け引き、判断等の複雑さについて充分に認識している人は少ないであろう。本書は、ニクソンキッシンジャー外交と当時の国際情勢の様子を通じて、読者に複雑な国際政治の一端を伝えてくれるだろう。各章内容が重複したり、時系列が多少前後したりして若干読みづらくはあるが、そのことによって本書を読む価値は減じていないはずだ。